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長崎和牛 [家]

昨日、妹から出産祝いのお返しを頂きました。
普段、我が家の食卓ではなかなかお目にかかれないものでしたので撮影しました。

[長崎和牛です。]


頂いた物の中に、しおりが入っており和牛についてのルーツが記されておりましたのでご紹介致します。

和牛のルーツ、発見!?
壱岐(原の辻貝塚)や五島(大浜貝塚)などから2,200年〜2,300年前(弥生時代)の牛の骨が発掘されるなど、その歴史は大変古い長崎県の和牛。また、鎌倉時代の「国牛十図」には長崎は歴史的銘牛の産地との記録もあり、歴史と伝統が受け継がれていることも伝えられています。このことから、「長崎が和牛のルーツかも知れない」と考えられているのです。


とのことでした。

焼酎は地理的表示で壱岐焼酎が認められ、長崎が麦焼酎発祥の地であることは聞いたことはありましたが、和牛のルーツを知ったのは始めてでした。

なお、地理的表示で認められているのは、世界ではワインのボルドー・シャブリ・シャンパーニュ、ブランデーのコニャック・アルマニャック、ウィスキーのスコッチ・バーボン等があります。

お隣さんの奥さんと可愛らしい赤ちゃんもお戻りになられ、昨日は幸せな1日でした。

桃鉄と長崎電気軌道 [家]

最近、妻とTVゲームをする時間が増えました。
(本の記事がなかなかUPできない理由のひとつです。)
私はウィニングイレブンをしたいのですが、妻はコントローラーの操作が苦手なのでボードゲームで遊ぶことになります。
私の上司の方々は、学生の頃マージャンが娯楽の主流のようですが、私はマージャンよりもTVゲームでした。
その中でも、人気だったのが「いただきストリート」と「桃太郎電鉄」でした。
おなじみの方もたくさんいらっしゃるかと思いますが、簡単に説明すると「いただきストリート」は日本版モノポリー、「桃太郎電鉄(以下、桃鉄)」は日本列島を列車で巡るすごろくゲームとお考えください。
現在、桃鉄は「桃太郎電鉄2010 戦国・維新のヒーロー大集合!の巻」が最新版ですが、うちにはWiiがありませんので、妻と対戦するときは「桃太郎電鉄15 五大ボンビー登場!の巻」(PS2)で戦います。

桃鉄の勝敗は既定の年数で所持しているお金・物件(要するに資産)の価格の総合計で勝敗が決まります。
列車が駒で、サイコロの数だけ進み、到着した駅では所持金内で物件を買うことができます。
年に一度、決算があり物件の収益率に応じて所持金が増えます。
また、目的地となる駅に到着しても援助金が貰え物件を買うことができます。
そのとき、目的地より最も遠い位置に離れているプレーヤーには、様々な悪さをする貧乏神が付きます。
他のプレーヤーの列車を追い抜いたり、次の目的地に到着することで別のプレイヤーに貧乏神は移ります。
日本ならではの四季折々のイベントなどあり2〜3時間はあっという間にすぎるので、寝不足や家事が疎かになりやすい危険なゲームです。
ここまではゲームのお話でしたが、長崎では実際の桃鉄が走っていた車両がございました。

[桃鉄ラッピング電車]


なお、長崎電気軌道(株)は日本で初めて車体広告(現在のラッピングフィルムによるものではなく、塗装によるもの)を採用した公共交通機関で、1964年に開始され、初のスポンサーは鐘紡だったそうです。
2004年度から長崎電気軌道の主催でカラー電車の人気投票も行われております。

[人気の高いチキンラーメン号]


[こちらはローソン号]


[花電車/長崎ランタンフェスティバル号]


広告料金は車両のタイプで異なりますが、約35万円〜50万円/月(契約期間3ヶ月)です。長崎では電車=路面電車です。1989年の消費税導入、1997年の同税率引き上げの際も、運賃は均一運賃¥100-でしたが、2009年10月1日より25年ぶりに運賃を値上げし、¥120-となりました。

クリスマスツリーの思い出 [家]

今日、早めに里帰りした妹からメールが届きました。
クリスマスツリーの画像付きメールでした。

[クリスマスツリーです]


[飾り付けのサンタちょっとレトロです]


[ツリーが収められている箱です]


私は家で飾るクリスマスツリーが大好きでした。
なぜなら、こどもの日に飾る鯉のぼりは毎年のことではなく、いくら立派な鯉のぼりだったんだぞと聞かされても親の満足を満たすばかりで、私の記憶には無いからです。
確かに写真を見ると本当に大きく、今では鯉を揚げる竹が見つからないそうです。
その点、妹は羨ましかった。
ひな人形は毎年、飾られており幼い私はどこか寂しい気持ちでいた記憶があります。
だから、毎年訪れるクリスマスは大好きでした。
そんなに大きくもなく大人だったら小脇に抱える程度のツリーですが、物心がついた頃の私は飾り付けが大好きでした。

そんなツリーも中学生くらいからだんだんと関心は薄れていったのですが、ある日、父が呟いたのです。
「最近、流行の歌手がいるだろう?」
唐突にそんな台詞をなげかけられても返答に困ります。
なので、
「どんな人かヒントを教えてよ。」
すると父は、
「なんだか分からないけど、日本語じゃないんだ。」
「ムーとかマーとか、まあそんな感じだ。」
「それじゃ、分かんないよ。誰それ日本人なの?」
すると父は、
「そうだな日本人だと思うよ、お母さんは間違いなく日本人だ。」
私は
「誰だそれ、ムーとかマーなんて日本人いるのか?」
と思ったが、頭に雷が落ちたように電流が流れた!
「お父さん!それMISIAじゃない。だから、ミーシャ!。」
父は
「確かそんな感じの名前だったかな。」
「でも、それがどうかしたの?」
すると父は、
「うちにさ昔よく飾ってあったクリスマスツリーがあっただろ、あれ、その人のお母さんから貰ったんだよ。」
「えー、なんで?」
「いや、その人のお母さんと以前職場が一緒の時期があってな、その人が同じものを2つ買ってきてそのうちの1つがうちにあるんだよ。」

私は驚きました。

さらに父は、
「その人はとても奇麗でね、そのミーシャって人はどんな人なのかお前は知っているのか?」
「お父さん、知らない人の方が珍しいくらいだよ。コンサートのチケットなんて取れないくらいなんだよ。」
「そうなのか、それは残念だったな今は別の職場になったから疎遠になってしまったよ。そうだ、お前そのミーシャって人のレコードは持っているのか?」
「レコードは持ってないよ。今はCD!ちょっと待ってて持てくるから」
「この人が、そのミーシャって人なのか?」
「そうだよ、歌はメチャメチャうまいんだから!」

暫くして父は、呟きました。
「どうやら、お父さん似のようだな。」
しまった、見せたアルバムジャケットがいけなかった。



MISIAで「Everything」です。


三つ子の魂百まで [家]

身に染み付いた習慣とは、恐ろしい。

大分、回復してきたものの、まだ熱は下がらない。
腸の調子は、今ひとつ、今日もお昼はうどんでした。
38℃は超えていないし、何より妻がピンピンしている。
どうやらインフルエンザではなさそうだ、体重もさらに落ち大学1年の時に購入した、リーバイス501も履けるかもしれない。

しかし、こんな状態でも、家の掃除をしないと気が済まない自分が怖い。

どうやら、これは遺伝かもしれない。
私の母は、大変な奇麗好きである、子供の頃の私はとにかく潔癖に育てられていた。
幼稚園に入園するまで、一切、土や砂遊びをさせて貰えなかった。

その反動からか、幼稚園ではもっぱら砂遊びばかりやっていた。
私が高校球児だとしたら、砂場はまるで甲子園のグラウンドのような聖地であった。
もちろん、他の園児も砂場で遊んでいるのだが、私が他の園児と異なるのは遊び終わったあとだ。

チャイムがなると、園児は皆、急いで教室に戻るのだが、私は一向に戻らなかったそうだ。
(記憶が無いので、この話は母から聞きました。)
入園当初、母は同い年の子供と遊ぶ機会が少なかった私を心配し、時折、幼稚園に様子を伺いに来ていたそうだ。

チャイムが鳴っても、教室に戻らない私は砂場を丁寧に均していたそうだ。
小さい手で、広い砂場を均すのにはかなり時間がかかっていたのであろう。
校内放送のスピーカーで「教室に戻りなさい」と先生に警告されていたそうだ。

それを、聞いていた母は、先生に相談したそうだ。
「あの子、毎日あの様子なのですか?」と先生は、即答で「毎日ですよ」と答えたそうだ。

それ以来、母は育て方を間違ってしまったのかもと考えこんだそうだ。
しかし、私の整理整頓・奇麗好きは今更、変えようにも変えれないのである。

そこで、次に生まれた妹には、私と同じような育て方をしなかったそうだ。
だからと言う訳ではないが、妹は少々雑なところがある。

母は、私と妹が逆だったら良かったのにと言っていた。
妹が嫁入りするときは、とても不安だったそうだ。

そんな、妹も先日、二次の母となった。
私と同じ、母の遺伝子を持った妹だ、おそらく無難に主婦業をこなしているに違いない。

おめでとうございます2。 [家]

先ほど、妹が無事に出産致しました。

第二子目で男の子です。

義理のお父様が「丑年生まれ」、息子さん(義理の弟)も「丑年生まれ」なので、孫も「丑年生まれ」を希望されていたので、念願が叶い、さぞお喜びのことと思います。

義理のお父様がおっしゃるには、3代続けて同じ干支だと、縁起が良く家が繁栄するそうです。

妹は福岡にいるので駆けつけることはできませんが、無事という報告を母から聞いて一安心しました。

昨日に続いて、HAPPYな記事が書けて嬉しいです。

修了証 [家]

妻が、ペーパードライバー講習を修了致しました。



今では運転の恐怖心も薄れて、いつもの笑顔いっぱいの妻になりました。
今日は、自宅周辺を中心に走行したそうで、得意げにたくさん話してくれました。

妻の運転で「私を病院まで連れてって」くれる日も、そう遠くないことでしょう。

妻よ、よく頑張ったね。
おめでとう。

デビュー [家]

今日は、ペーパードライバー受講中の妻が路上運転に再デビューしました。
豊田方面へは向かったらしいのですが、地図が苦手な妻、迷子の子供に尋ねるようにどこに行ったの聞くと「大きな道を通って来たの」とすごく抽象的な返事、どうやら私の勤務する会社の、一つ先の通りを運転してきたようだ。

最近の、自動車教習場はとても低姿勢らしい、私が免許を取得した頃は鬼教官の先生もいたのだが、少子化に伴い自動車教習場もサービス重視、お客様重視で無いとやっていけないそうだ。

妻の運転中の会話だと思いますが、教官から「土日は運転の練習しているの?」と尋ねられたそうだ。
すると妻は「普段は穏やかでやさしい夫ですが、とても厳しくてビクビクするんです。」
そして「助手席にブレーキがあれば、私も(夫も)安心して運転できるのですが・・・」
と真剣に答えたそうです。

すると、教官の先生は「そんなの後付けで15万円も出せば付けられますよ」
妻は「えー、そうなんですか!付けたいです!」と即答したそうです。
「教習車はどれもそうですよ、もっとも15万円もあれば、一から受講できますがね」
とのこと、妻は爆笑したようです。

次に教官の先生は「どなたか、免許とられる方いらっしゃいませんか?」
と悩んだ様子で尋ねてきたので、「うちの夫は、バイクの免許欲しいって言ってましたよ」
と答えたところ、いきなり教官では無くなりセールスマンになったそうだ。
名刺まで頂いたそうです。
時代は随分変わりましたね。

さて、
デビューと言えば、本日より「かずさん⇔ゆうてん」がログ友デビューしました。
ログ友って?と
とぼけた私にも、丁寧に対応して頂けるジェントルマンの「かずさん」でした。

経営シミュレーションゲームも好きで任天堂DSの「A列車で行こう」もよくプレイするのですが、ゆうてん発⇔かずさん行きが開通された気分で、これからの発展が楽しみです。

私からログ友のお誘いは、要領が分からなくてできませんので、もし、興味をお持ちの方はメール(メッセージ)頂けると幸いです。

本日は21時発「かずさん」行き出発進行!

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