SSブログ

二つの自分 [病気]

So-netでの、初の記事を書きます。
少しだけ、緊張してます。

前回の記事のとおり、私は退職して故郷の長崎に戻ります。
長崎に帰ることは、とても楽しみで引っ越しの作業も黙々と行っておりました。
ところが、最近、体がとてもダルくて思うように動けない。
会社は休職しているので仕事のプレッシャーはありません。
原因は分かりません。
転居先が正式に決まっていないことや、これから先の不安がそうさせているのかも知れません。

ただ、これが今の私の状態であることは確かです。

昨日ですが、PLAYLOGでログ友さんのお一人「ロベンさん」の記事を拝読していました。
休職中の今、これまで読めなかったログ友さんの記事をゆっくりと読むことができます。

その中に私の心を揺さぶる記事がございました。
2010-10-15 二極の狭間~Between the Hell and the Peace~より
以前の①「最悪の状態」があって、今の②「いい感じ(カウンセラー・医師談)」がある。この2つの地点は自分の中では分断したものではなく、繋がっているものであること。ゆっくりゆっくりと快方に向かいながら2つの狭間を漂って繋がって現在にいたっている。 でもこの2つが繋がっていてここまで来れたということは、また将来の「最悪の状態」にも確実に繋がっているということ。経験的には、良くなるのはゆっくり、悪くなるのは一気に、だと思います。いつでも「最悪の状態」への道は繋がっている。そちらに向かわない工夫をどうすればいいのか、まだ答えはでません。警戒を弱めるのは、一生できないかもしれないです。ま、それが私の人生なのかもしれませんね。

今の私は少なくともいい状態ではない、そんな自分を認めたくもありませんでした。
だけど、「いい感じ」にも繋がっていること、これはすごく励みとなりました。
今の自分は大嫌いだけど、「いい感じ」にも繋がっていることを知れば、どのような自分も認めることはできるような思いでいます。
休職、復職を繰り返し、今回、退職することになりましたが、ゆっくりと「いい感じ」に向かっていければいいなと思いました。

nice!(8)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

300円の幸せ [病気]

私が休職して、約3ヶ月が経とうとしています。
復職は最短でGW明けの見込みでした。
しかし、今の私の状況は週に2回外出するのが精一杯でとても復職できる状況ではありません。
ただ、週2回の外出は私に与えられた課題であり、その課題はクリアしております。

復職のタイミングは伸びましたが、この先の人生をゆっくり考える期間を与えられたと思いじっくり過ごそうと思っています。
来週からは、デイケアの参加を週3回チャレンジします。

昨日もデイケアに参加致しました。
うつ病の患者さんが多いデイケアって、「どんより」としたイメージがございませんか?
確かに、うつ病の方は朝が苦手な方が多く表情も虚ろな感じの方もいらっしゃいます。
しかし、目標は皆「社会復帰」を掲げているので、活力に満ちあふれたエネルギッシュな場です。

課題は、毎日異なりますが昨日は「ビンゴ大会」が行われました。
各自、商品を持ち寄り簡単なメッセージを添えます。
商品は表から見えないようにラッピングされており、リーチ→ビンゴ!されたからから商品をGETしていきます。
商品の金額は300円程度です。

安価な金額なだけに、皆さん試行錯誤して商品を持ち寄ります。

私が用意した商品は、陶器製のヒヨコの貯金箱です。
首がバネになっていてとてもユーモラスな可愛い商品です。

ビンゴ大会も終盤になってくると、選ばれない商品の持ち主は複雑な思い抱きます。
しかし、商品はラッピングされているため最後まで分かりません。

さて、私はのGETした商品はコレです。
[ルームスプレー]


丁寧に手作りで調合された癒し系グッズでした。
ラベンダーの香りが漂う素敵なプレゼントです。

この商品を提供された方も、とても美人な方でさらにラッキーでした。
このことを熱く語ると妻にドツカレました。

本日はラベンダーの香りで気持ちよく就寝できそうです。
おやすみなさい。

予定外 [病気]

予定では、本日よりデイケアでした。
しかし、先日の診察でデイケアの患者さんが多く、生憎、火曜日しか空きがないことでした。
デイケアの参加は緊張で一杯でしたが、気合い入れてヘアスタイルもキメてたのに肩透かしを食らいました。
ただ普段の生活が、まだまだ不安定なので結果的には良かったのかも知れません。

抗うつ薬も量が増えました。
精神安定剤も持続性が高い薬に変わりました。

デイケア→ウィークリーケアになりましたが、焦らずゆっくり直していこうと思います。

心療内科だから当然なのですが「うつ病」の患者さんって多いんですね。
変なもので、自分だけじゃないと思うとちょっと気楽になりました。
人の不幸で「気楽になりました」なんて不謹慎なことと思いましたが、私も案外同じように思われているのかもしれないなあと思うと可笑しくなりました。

当面の課題は「朝起きて、朝食を食べる」ことです。
ただ、これも義務と思って無理してはいけないとのことです。
頭で考えると難しいです。

お医者さんの提案は、朝、妻が私を起こします。
そこで、私がとても辛そうだったらそのまま寝かす、起きれそうだったら起こす。

全て妻のさじ加減です。

ちなみに、今日は起きれませんでした。
睡眠状態を、記録する用紙も頂きました。

なんだか、高校時代に自宅学習時間を記載し先生に提出する用紙を思い出しました。
私は0時間のときもクラスの平均時間と思われる5時間を記載し、虚偽の報告をしていました。

病院から頂いた「睡眠・覚醒リズム表」は
【眠りの状態】
・ぐっすり眠った
・うとうとしていた
・眠らずに床についていた
・床についていなかった
の時間帯を記録します。

さらに、
【気分の状態】
(+2)絶好調〜(-2)ひどく悪い
【日常行動】
特に変化のあった事を記載します。

皆さんは、ぐっすり眠れていますか?

順調な焦りと不安 [病気]

一週間ぶりに外出しました。
気分は決して良くは無かったのですが、本日より主治医が変わるのでドウシテも外出しなくてはいけませんでした。

驚きです。
外の世界は思ってた以上に気持ちが良かったです。
しかし、通院までの私は新しい先生との出会いで緊張気味、どこか落ち着きがありません。

緊張の面持ちを隠せないまま新しい先生に診察して頂きました。
休職して、もうすぐ2ヶ月が経ちます。
「グウタラ」にも飽きてきました。
でも、体は動かないし、朝もダメ、思うようにならない事にいらだち、そして落ち込む。
唯一、布団に包まって「読書」はできるようになりました。
でも、読んだ事のない本は怖くてダメ、懐かしんで昔のアルバムをめくるように今まで読んだことのある本を改めてゆっくりと読んでいます。

今日の診察は、結果的には順調な回復とのことでした。
しかし、私は納得がいきませんでした。

社会との距離がドンドン離れていって怖いし不安だらけで焦っています。
でも、何もできない・・・
この状態のどこが「順調」なの?

先生は教えてくれました。
「うつ病」は再発を繰り返しやすい病気なのですが、私の場合その度合いが際立っておりそのような症状もある病気とのことでした。
だから、少し回復したからといってすぐに「復職」しては、再度、病気になるそうです。
なので、今の状態で「復職」してはダメとのことです。

では、どこが順調なのか?
疑問は深まります。
それは、以前は(生きるか死ぬか)本当に狭い範囲でしか考えられなかった状態から、今は社会に復帰したい焦りや不安など感情が増えましたねとおっしゃって下さいました。
気休めではなく、本心を射抜いた言葉でしたので嬉しくなりました。

今後の治療の方針も、来週より一ヶ月間「復職支援のデイケア」を始めることになりました。
ここで、一ヶ月間無事に過ごすことができてから「復職」のことはそれから考えましょうとのことでした。
なので、「復職」は早くてゴールデンウィーク明けになりますが、無理せずじっくり病気を直しましょう!とのことでした。
上司にも直ぐに報告し快諾頂けました。

私はドン底の心の中に、それでも良い事を気付かせて頂いた先生に感謝の気持ちで一杯です。

こんな私ですが、気持ちにゆとりが出来ると色んなことに気付きます。

ちっとも動かなかったPCが久しぶりに起動し、嬉しくなりました。

薬局で微笑みかけてきた子供に思わず頬が緩み、幸せを感じます。

いつもと違う道を運転していたら、桜が咲いていて嬉しい発見をしました。

美容室で髪を切ってさっぱりとした気持ちになりました。

CDショップで流れていた曲が気になり、店員さんと会話が出来ました。

新しい眼鏡は買えないけど、妻とウィンドウショッピングが出来て楽しかったです。

今日はCDショップの店員さんが教えてくれた曲を紹介します。
[JUJUで桜雨です]

別れー② [病気]

今日は通院日でした。
先週行けなかったので、今日は怠くて重たい体をどうにか動かして通院しました。

私の体とは、無関係に2週間も放ったらかしていたボクサーエンジンは元気で嬉しかったです。
病院まで片道45分ですが、思ったより気楽に運転ができました。

心療内科に通院して1年3ヶ月ほどになると思います。
担当の先生は若く結構キツい言葉も頂き、これまで私を奮い立たせて頂いた方です。
そんな先生の情熱に対し私の体調は一進一退は繰り返すばかりでした。

今年に入りギリギリの精神状態が続いており「休職」の提案を持ちかけたのは先生でした。
今までも「休職」はあったのですが、それでも2週間程度で1〜2ヶ月の長期に渡る「自宅療養の休職」は今の病院では殆ど無かったことです。

今までは、長期の「休職」は私にとって復職するときのマイナスの面が大きく長期休職は否定的な先生でした。

そして、今日、先生より告げられました。
「実は来月より別の病院に移ります。来週が最後の診察になります。こちらの事情もあり今後の事もどうするかある程度考えて下さい。」
愕然としました。
ある程度信頼関係が構築できていただけにショックでした。
先生の新たな勤務先の病院への通院は時間的に困難です。

先生の提案は
「思い切って1〜2年休んではどうかとのことでした。」
しかし、私は
「現在の会社へ復職を考え始めています。」
と告げました。

先生は
「家庭を養おうとする気持ちはとても大切です。しかし、固定観念にとらわれず暫くその役割は奥さんにやって頂いたらどうですか?」
とのことでした。
「長崎では十分に能力を発揮し仕事に取り組めたと思います。でも、こちらの環境では適応が難しかったのかもしれません。」
私は十分するくらい理解は出来ているのですが、納得できませんした。
そして、先生も私の気持ちへの理解はして頂けました。

先生と私の考えの大きな違いは、先生は体(心)優先、私は目下の仕事優先です。

1〜2年ってそんなにブランクがあるとビジネスマンの感覚を無くしてしまいそうで怖いです。
たぶん、今でも会社の中で私の信用も失墜していることでしょう。
だからこそ挽回しようとどこか無理してしまう自分がいるのも分かってはいます。
ただ、今のまま退職してしまうのは逃げるようで嫌なんです。

自己管理ができず十分な能力が発揮出来なかったことは私の責任かもしれません。
でも、このままでいいのだろうか?
バカ正直すぎたところもあったけど、真正面から仕事に取り組んだ自分は間違っていないと思う。

例え退職することになっても、何か実績を残して辞めたいです。
このように考えてしまうのは、思い上がりなのかな?

先生はいつも言っていました。
「上手に手を抜きなさい。」
先生、私は先生の言う事なかなか出来なかった。
先生は私に今の社会で生きる術を教えようとしてたんだと思う。
でも、先生の言う事分かっていても出来なかったよ。
変えられるのは「自分」しかないけど、先生「自分」を変えるって難しいね。

3/4+1ヶ月 [病気]

本日、心療内科への通院日でした。
本日の診断で、さらに1ヶ月休職期間が延長になりました。
不思議とショックはなかったです。

休職期間に入ってからは、今まで寝付けなかったのが嘘みたいに熟睡しています。
でも、朝が起きれなくなりました。

皆様も同じだと思いますが、昼間寝ちゃうと夜寝れないですよね。
一見不規則のようですが、当たり前の生理現象が戻って来たのも嬉しいものです。

しかしながら体力は回復しておらず、外出は出来ていません。
家でぼんやりと過ごしています。

仕事はもちろんのこと、なにか別なことへの意欲が沸き立つのも、もう暫く時間が必要のようです。

今は何も考えなくていいとお医者さんから診断されましたので、できるか分かりませんが「何も考えないとどうなるのか」試してみようと思います。

どちらかと言えば、私は「石橋を叩いても渡れない」タイプです。
良く言えば「慎重」悪く言えば「臆病」な人間だと思います。
このように何事にも慎重で考えこんでしまう人間が、「いかに考えずに過ごせるか」「考えずに過ごすとどのようになるのか」楽しみです。

当初は嫌でしたが毎日ダラダラと過ごす生活にも不思議と慣れてきており、それに伴い「不安」や「自己嫌悪」なども薄れてきたように思います。

今では、自殺しようなどとは考えていません。

一日をパジャマ姿で過ごすグウタラな格好も板に付いきたようです。

でも、ヒゲ剃りと入浴は止めれませんね。
唯一、外出する通院のときの身だしなみも気になります。

グウタラを極めるのもなかなか難しいものです。

もうすぐ3/4ヶ月経ちます。 [病気]

現在、休職しています。
私は休職したくなかったのですが、明らかに精神的に追い込まれており主治医より強制的に1ヶ月間の休職を宣告されました。

「入院しなければいけないギリギリのところですよ。」

この一言で、涙がこぼれ落ちました。
お医者さんには、バレバレでした。
平静を装っていましたが、死の淵にいることが・・・

ブログにも、出来るだけネガティブなことは書かないようにしておりました。

でも、先日思いがけなくdonさんに「あたたかいコメント」を頂き嬉しくて記事に致しました。

今は先のことを考える機能ができなくなっており、自分を見失っています。
社会人になってから大きな挫折です。
何度も這い上がろうとしていますが、どうしても上手く行きません。

休職して、精神的には大分落ち着きました。
でも、再度社会に復帰できるかは正直怖いです。

donさんのブログのタイトルは「人にやさしく」です。
donさんはとても知的な方ですので、私はやさしくが「易しく」なのか「優しく」なのかは分かりませんでした。

私はdonさんの「人にやさしく」に続く言葉に続く言葉は分かりませんが、「やさしく」は「優しく」なのではないかと思いました。

自分自身の事さえ分からない私がどれだけ「優しく」できるかは分かりませんが、まずは自分に「優しく」しようと思いました。

donさん、ありがとうございました。

薬と心 [病気]

あまり、ネガティブなことは記事にしたくありませんが、私が同じことを繰り返さないこと、それと自分の過ちを曝け出すことで誰かの救いになればと思い記事に致します。

以前よりご訪問の方はご周知のとおり私は「うつ病」疾患者です。
障害者自立支援法に認定され、医療費は国から2割、地方自治体から1割の援助で医療費の自己負担は精神通院に限りございません。(来期は分かりません、民主党次第でしょう。)
これも先月、更新手続きを済ませましたので、心療内科への通院期間は1年以上になります。
しかし、発病したのは2006/11頃ですので、3年以上に渡り病気と日々付き合っております。

昨今は、「うつ病」疾患者が増加し病気そのものの認知も深まりつつあることは良い傾向ですが、それだけ「うつ病」にかかりやすい環境になったのではと感じます。

私も転職した身でありますが、終身雇用が崩壊し人材が流動化し始めたことも要因としてあるのかも知れません。
派遣社員も増えましたが、景気が悪くなれば派遣切りをためらいもなく行う。
会社はいつしか従業員や社員から、株主重視の経営に移り変わっています。
日本のサラリーマンは胸を張って「我が社は」と言っておりますが、近い将来アメリカのようにThe company I work forとなるでしょう。
同僚でさえライバル或は他人のように写ってしまう。
かつては運命共同体であったのになんだか寂しいものです。

少し、話が脱線してしまいましたね。
今回、残念なことに薬の種類が増えました。
このままの状況だと、あまりよろしくなく少しでも脳を活性化させるための試みです。
情けないことに、自分の脳のコントロールさえも薬に頼っているのが現状です。
以前のように「死にたい」と思う気持ちが少なくなったことは自覚できているので、嘘でも「良くなっている」とは自分に言い聞かせているもののちょっとばかり凹んでしまいました。

いつの日か、あんなこともあったなと笑えるくらいの日がくればいいなあと願いたいものです。

私の場合ですが、病気を悪化させる原因は「常に頑張り過ぎ」とのこと、昨日よりも今日、今日よりも明日と無意識のうちに無理していたようです。

日々も多忙で、師走になり特に忙しい方も多いと思われます。
そのような方は「心の風邪」にもご注意ください。

時にはゴロリとお昼寝してのんびりと生きよう。
曲は小國雅香で「La siesta」です。

1週間のオフ [病気]

やってしまった。
本日の通院で、1週間の休職の診断書を渡され会社に受理された。

「うつ病」では再発・揺り戻しはよくあることなので、ある程度の覚悟はできていた。
ずっと、(風邪や腸炎の期間は別として)右肩上がりで回復していただけに医者も心配していたそうだ。
回復までには、通常、波があり徐々に回復するものだが、私の場合は絶えず右肩上がりを続けていたそうだ。
それと、今後、完治を目指すのではなく、一生「うつ病」とどのように付き合うべきか考えなければいけないかもしれないとのことだった。
これは、ショックだった。

日常の過ごし方も過信していたつもりはないのだが、昨日よりも今日、今日よりも明日と知らず知らずのうちに日々、ハードルを上げ続けていたようだ。

「うつ病」を根治していないも関わらず無理もあったようだ。
しかし、症状自体は今回はどん底で彷徨っていたときに比べるとまだましなようだ。

幸い、会社からは戦力外通告は受けなかった。
むしろ、気遣って頂きました。
大変ありがたかったです。
しかし、昇級や昇格、ボーナス査定のことを考えるとやっぱり辛い。

サラリーマンの人生は長いものだ。
息もつかないほど、突っ走ってきたが先は長くまだゴールは見えない。

プロの世界も厳しいとは言え、サラリーマンの世界も楽ではない。

どちらかと言えば、私は昔のリゲインのCMのように24時間戦うビジネスマンだったが、今の時代、細く長くマイペースが賢い生き方なのかも知れないとも思った。

そういうことで、仕事は暫くリタイアすることになりました。


まじめな下ネタです。(下ネタ苦手な方は、見ない方がいいです。) [病気]

長期間の風邪&腸炎がもとで、ナイスプロポーションを得た私は「はるな愛」を目指すべく「玉」を除去しました。

・・・というのは嘘です。

でも、後半は本当の話です。
3つの玉のうち1つを除去しました。

2つは男性のシンボルで、今回除去した「玉」は「外痔核」です。

先週の土曜の午後から、ジンジンと痛みだしました。
でも、それほど気にはしていませんでした。
痔自体は、今回が始めてではありませんし事務職では、ちょっとした職業病みたいな感覚でした。

しかし、今回は排便後に違和感がありました。
あきらかに、便ではない大きな物が取り付いているのです。
怖くなって、妻に見てもらいました。
すると、甘栗くらいの大きさの赤黒い痔がぶらさがっていたそうです。

土曜日・日曜日は痛みで全く寝れませんでした。
私が唸っておりましたので、妻も寝れなかったそうです。

そして、運命の月曜日、退職する前の同僚に腕のいい肛門科の医者の話を聞いていましたので朝一で、その病院へ行きました。

一番目の受付でしたが、初診であったため書類記入があり実際に診察したのは4番目くらいだったと思います。
まあ、今の時期の内科に比べるとそれほど込み合っておらず、随分とのんびりしたムードではありました。

いよいよ、診断です。
下半身真っ裸になりました私は、診察台のベッドの上に横向きで寝かされました。
何をされるかも、分からず緊張で一杯でした。
医者:「もっと、リラッックスしていいよ。」
私:「ハイ・・・」(この体勢で、どこをどうリラックスするんだよと心の中では思っておりました。)

パシンパシンと医者がゴム手袋を装着する音が、乾燥した診察室に響き渡りました。
(いよいよ、なにか分からないが、なにかされる)
緊張はピークで、お尻にも力が入ります。
やがてゴム手袋の、ヒヤッとした感触がお尻に伝わりました。
一瞬です、緊張が緩みましたと同時に、グイッとお尻を広げられ僅か数秒で診察は終わりました。

別室にて、診断の説明と治療の相談がありました。

様々の痔の図解を見せられ、私の痔は「外痔核」であることの説明を受けました。
このまま、放置して薬で痛みを和らげる方法もありますが、切除することもできるとのことでした。
男に、玉は3つもいらんだろうと思っておりましたし、なにより同僚から腕がいい医者と聞いておりましたので、迷わず切除することに決めました。

ただ、保険適用外なので、少し高い(¥17,000-)けどいい?
と言われなんだかブラックジャックのようだなと思いましたが、美しいお尻に戻れるならと思い切除をお願いしました。
医者:「そうだね、ちょっと大きいし切りましょうか手術になりますがいいですよね?」
医者:「手術だけど、5分くらいで済むからね。」
私:「ハイ、お願いします。」
医者:「ああ、それとこの手術はあくまで本人希望ということでいいよね?」
私:「???ハイ。」
医者:「それじゃ、今すぐ手術はできないので再度11時か16時に来てもらえるかな?」
私:「では、11時でお願いします。」
医者:「12時になると、私も用事があるので遅れないでね。」

そして、約束の11時
診療のベットにオプションが装着されておりました。
出産した女性の方はご想像できると思いますが、両足をのせる器具が取り付けられておりました。
そして、下半身真っ裸で今度は仰向けでベッドに寝かせれました。

電気メスを使用するため、時計を外され、背中にアースがセットされました。
いよいよ、これから手術だ!ってときに
医者:「しまった!同意書にサイン貰っていなかった。」
医者:「どうします、後でサインして貰えます?」
私:「(こんな状態になってやっぱやめますなんて言えず)ハイ。」

医者:「じゃあ、始めるね出血が止まりにくいってことないよね?」
私:「ハイ。」
医者:「万が一、出血が止まらないと入院になるからさあ、大丈夫だよね?」
私:「(そんなこと、先に言えよ)ハイ。」
医者:「今から、局所麻酔するからね。」
医者:「痛いけど、動かないでねそのかわり、声はいくらでも出していいからね。」

私:「アー、イー、ウー」と母音の雄叫びを発しました。
多分、私が女性で出産することになるとヒーヒーフーなんてできないやと思いました。
その後、医者が患部を揉みしだき麻酔を行き渡らせ、無事切除しました。
確かに、ここまでは5分くらいでしたが、ここからが長かったです。

医者:「手術は無事に済みましたよ。」
医者:「これが、今回摘出したものだけどいる?」
私:「いや、結構です。」
医者:「今から、止血するけど切りっぱなしで縫合していないから、止血までにちょっと時間がかかるけどいい?」
私:「(切ったあとにそんなこと言われても仕方ないよ)ハイ。」

たっぷりとガーゼを当てられグイグイと押さえつけられること10分くらいでした。
看護師:「先生、変わりましょうか?」
先生は無視
この、先生は本当に大丈夫なのか?
一抹の不安がよぎりました。

なんとか、一時的に止血は済みました。
なぜか、医者がホッとした様子でした。
ホッとするのは、患者の方じゃないのか?と思いつつ止血剤を飲まされ、さらに30分間待ち合い室で待機することになりました。
再度、止血を確認後無事解放されました。

その後、若干の出血はありますが、ユニチャームのナプキンにお世話になっており快適に過ごしております。
歩く時に、カサカサという音が気になるくらいであとは問題ありません。

ユニチャームと言えば、インフルエンザ特需で営業利益率が前年比40.5%増のようですね。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。